汝の御霊は永遠に・・・Simacherです。
「何すかその変な挨拶は?」
変?
「いや、変といえばいっつも監督は変な挨拶しかしてないけど・・・」
おいおい。なんか今聞き捨てならない事をいわれた気がするが、、、
「あ、いや、なんでもないです。忘れてくだされ」
まあ、前置きはこのくらいにして。今日は5月1日。この日といえばメーデー(マレーシアでは祝日)だとか、この日といえば5月の最初の日だとか、いろいろ言う人は多いでしょうが、5月1日はモータースポーツ界に大きな影を落とした日でもあるのです。
そう、アイルトン・セナ。1994年5月1日のF1・サンマリノGP、彼は天に召されました。その前後の状況を少し。
4月29日の予選1日目。ヴァリアンテ・バッサでジョーダン・ハートを駆るバリケロが縁石に乗り上げて飛び上がり、タイヤバリアの上端に接触。弾みで空中アクロバットをやってのけた後、天地逆になって着地。鼻などを骨折したバリケロは、腕をギプスで固められてしまい、運転が不能に。決勝は欠席することに(なお、マレーシアでは予選1日目は中継していなかったので、翌日=予選2日目の冒頭で知りました)。
4月30日の予選2日目、GP最初の死者が出ます。シムテック・フォードに乗ったロランド・ラッツェンバーガーが右緩コーナー・ヴィルヌーブを曲がりきれず、アウトのウォールに激突。モノコックはかろうじて原型をとどめていたものの、頭蓋底骨折を起こしていたラッツェンバーガーはほぼ即死の状態で、予選は40分を残して赤旗中断。テレビの前で彼の死を知り、衝撃を受けました。F1の安全神話が、音を立てて崩れ去った瞬間でした。この時点で、友人数人に電話。「今、ラッツェンバーガーが亡くなった。」反応はいずれも「嘘だろう」、「信じられない」という、自分の感想と同じものでした。
そして、アウトドローモ・エンツィオ・エ・ディノ・フェラーリは、F1史上最も暗黒な日を迎えます。前日の予選は、生涯最後、65回目のPPを獲得したセナ、以下順にシューマッハ-ベルガー-ヒル-レート。深夜放送のTVにかじりつく自分。レーススタート直後、グリッド上で止まっているレートのマシンが映し出されます。次の瞬間、後方から突進してきた1台のマシンが避けきれずに追突。衝突したのはロータス・無限ホンダのペドロ・ラミー。両者に怪我はありませんでしたが、破片で観客8人が怪我。SCが投入されます。以降、5週にわたってSCラップ。
再スタート後のセナを後ろから見ていたシューマッハは、こう証言しています。「リアの車高がかなり落ちていた。セナはマシンをコントロールするのに苦労しているようだったが、とてもあんな重大なトラブルにつながるようには見えなかった。」
そして、運命の7週目。セナの後ろにシューマッハがぴったりと食いつきます。その差約1秒。シューマッハのオンボードカメラには、点のようなセナのマシンが映し出されます。その点が少し右へよれたような気がして、「はて?」と思ったそのとき。セナのマシンにパンしたカメラは、とんでもない光景を全世界へ発信していました。タンブレロコーナーを曲がりきれずに直進したセナは、コンクリートウォールに激突。パーツがざくろのように弾け散り、右半分が大破したウィリアムズ・FW16。黄旗を持ったマーシャルたちが駆け寄り、微動だにしないセナをマシンから引き出します。その後、ヘリコプターで病院へ運ばれたセナですが、深夜1時40分(現地時間6時40分)。一縷の望みを打ち砕く発表がコメンテーターからなされます。「非常に残念な報ですが、アイルトン・セナが天に召されました・・・。」深夜にもかかわらず、友人たちに片っ端から電話しまくります。「セナが死んだ・・・。」翌日の学校でも、かなり大きなニュースになっていました。新聞はトップ記事で紹介するし、セナ特集を組んだりするし、関係者らに独自のインタビューをするし。テレビでも、セナの特別番組が放送されました。
次に自分のセナに関する思い出を少し。私がF1を見始めたのはセナが登場した後でした。そのときはすでに88年や90年のセナは知っていて、ファンになり始めた矢先の出来事でした。92年のモナコGPや93年のオーストラリアGPも見ていました。セナは、他のドライバーたちが持っていない「何か」をもっている―それがファーストインプレッション。現在、セナの記録は殆どミハエル・シューマッハによって塗り替えられ、絶対に追いつけないといわれた65PPの記録すら、彼が更新しました。もちろん、それが強さというものでしょうし、だからこそみんなミハエルが好きなんでしょう。でも、記録をどこまで塗り替えても、それは単なる数字の羅列です。彼の持つレコードを更新しても、彼自身には絶対に追いつけない。アイルトンは、トップに立ったまま、天国へ逝きました。それは「アイルトンには誰も追いつけない」ことを象徴していると思います。シューマッハが00年イタリアGPでセナの41勝に並んだ時、彼は記者会見で泣いていましたが、それは「記録」という形でセナに並んだことを感じたからではないでしょうか。逆に言えば、記録更新という形でしか、セナに追いつき、追い抜くことはできない、ということです。
最後に、セナと関係のある曲。佐藤準の「A Latchkey」は、93~94年の日本のF1中継でエンディングとして使われていた曲で、まるでセナの死を予期していたようです。ピアノ主体のボーカルレスで、心にぐっと来ます。T-SQUAREの「FACES」は、同じくF1でアイルトン・セナが優勝したときに流れていた曲です。これも、セナのイメージに合っている曲ですね。ちなみに、筆頭ライバル、アラン・プロストの曲は「明日への扉」です。なぜマレーシアの中継の曲が無いのかというと、、、単にわかんないだけです・・・orz
「A Latchkey」:http://www.youtube.com/watch?v=CMnoKPyncLA
「Faces」:http://www.youtube.com/watch?v=n39Mh-0bEp0&feature=related
「明日への扉」:http://www.youtube.com/watch?v=QaSLrSs9Xpw&feature=related
そして、現在、「セナもの」ペパクラを画策中です(いつ完成するかわからんですが)。お楽しみに。
Thank you AYRTON, Goodbye SENNA
Thanks, for everything you'd teach us
We'll not forget you, forever...
Rest in Peace
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