Grazie,GILLES
ありがとう、ジル・・・Simacherです。
今日は、ジル・ヴィルニューブの命日です。1982年のこの日のベルギーGP予選で、彼は亡くなりました。
デビューは77年イギリス。フェラーリドライバーのイメージが強いジルですが、このときはまだマクラーレンの3台目に乗っていました。そのレースでの走りっぷりがエンツィオ・フェラーリの目に留まり、晴れて赤組に引き抜かれます。フェラーリで決勝を走ったのは同年カナダGPが最初(ラウダがチームとの確執でフェラーリを離れた事による空席埋め的な意味合いもありましたが)。しかし、77年F1・イン・ジャパンで、ピーターソンのティレルに追突した彼は、立ち入り禁止区域にいた観客数人を巻き込む死亡事故を起こします。純粋なレーシングアクシデントで、観客側に責任がありましたが、当時の日本はまだモータースポーツへの理解がなく(今でもある意味無いですが)、ジルは書類送検された上に入国禁止を食らいます。
翌78年カナダGPで初優勝。熱い走りで当時エースだったチームメイト、カルロス・ロイテマンがチームを追い出されます。新人の起用にあまりいい顔をしないティフォシも、彼のことを認め始めます。
79年は彼のベストシーズンとなりました。南ア、アメリカ西、アメリカの3つのGPで勝利を挙げ、一時チャンピオン候補と目されますが、結局ジョディ・シェクターのNo.2としての立場を守り、4pt差でランキング2位(本人いわく「チャンピオンは獲りたかった」のだが)。フランスGPで、ルネ・アルヌーと熾烈な2位争いを繰り広げ、彼のベストレースのひとつに数えられるようになります(激しい接近戦といえば92年モナコですが、それよりもインパクトがあったといわれています)。
80年、3年前からロータスが導入した「グランドエフェクトカー」(サイドポンツーン部分をウィング形状にすることにより、車体下部に真空地帯を作り出し、車体全体でダウンフォースを稼ぐ車。ウィングカーと同義。空気を遮断する部分が少しでも損傷するとコントロールできなくなる上に、マシンが段差を拾って跳ね上がると、継続的にぴょんぴょんはねる事になってしまい非常に危険。98年ルマン、CLK-GTRの空中3回転もこれが原因。またドライバーの負担が大きい事もあり、F1では禁止された。今でもIRLやGP2では使用されている。余談だが、殆どのレーシングマシンに装着されているディフューザーは、部分的にこのグランドエフェクトを生み出すシステムになっている)の構造をフェラーリも使用。しかしグランドエフェクトカーとフェラーリのフラット12は相性が悪く、うまくダウンフォースを稼げずに大苦戦。予選落ちまで喫する散々なシーズンに。それでもジルはあきらめずに、ティフォシたちのために激走。シェクターがF1を引退し、かわりにディディエ・ピローニが加入。念願のフェラーリエースになります。
81年、エンジンはターボ化されましたが、シャーシがウ○コでマシンの挙動が安定せず、総合バランスの悪いマシンに。しかし、モナコとスペインで勝利を挙げ、ランキング7位。また、地元カナダGPで、フロントノーズがめくれて視界がさえぎられ、さらには終盤でノーズがまるごと抜け落ちますが、そのまま走って3位。
82年、ようやくまっとうな新車126C2を手に入れ(ハーベイ・ポスルスウェイトの手による)、自信満々でシーズンをスタート。しかし、第一・第二戦はリタイア、第三戦は失格処分を食らい、第四戦サンマリノを迎えます。しかし、誰もこのGPが悲劇の伏線になるとは思いませんでした。
FISA系チームとFOCA系チームの対立により出走がFOCA側の14台のみとなったサンマリノ。3位のアルボレートに1分近く差をつけ、ジル-ピローニの順でランデブー。燃料に不安があったチーム側は2台にペースキープを指示。その後、「ジルが先頭」というチームオーダーが存在したにもかかわらずピローニがジルをオーバーテイク。ジルは「台数の少なくつまらないレースで観客を楽しませるためのパフォーマンス」と捉え、1度は抜き返しましたが、レースがファイナルラップに差し掛かった時点でピローニが再度オーバーテイク。ジルはペースを上げて懸命に抜き返そうとするも届かず、結局ピローニ-ジルの順でゴール。ジルは激怒します。両者の確執はここで表面化しました。
続くベルギーグランプリ、ゾルダー。予選2日目、ピローニにタイムで上回られたと聞くなり、ジルはコースイン。タイムがなかなか更新できずにコースを回るジルは、コース後半、森のセクションにさしかかります。S字から右コーナーへ続く複合カーブで、ここで速度を落とすと大きなタイムロスになります。全速力でアタックするジルの前に、ヨッヘン・マスのマーチがスロー走行ではしっている状態で、最初の左、ジルはアウトラインから抜こうとしますが、マスはインを譲ろうと、ジルにかぶせるようにアウトへラインを移します。急速に2台の間合いが縮まります。よけるための時間はあまりに短すぎました。
―ジルのマシンが空中で大きく弧を描き、マスのマシンを飛び越えます。衝撃でシートベルトがちぎれ、ジルはマシンから放り出され、コース脇に壊れた人形のように投げ出され・・・・・・
チャンピオンに後1歩まで肉薄し、1ラップに賭ける執念とは何ぞやとの回答を見せたフェラーリドライバーは、頚椎骨折で当日午後9時ごろ、天に召されました。15年の後、父親が一生をかけても果たせなかった夢を、息子ジャックが達成します。彼との確執を取り沙汰されたピローニは、実はジルに対して友情すら感じており、その後カナダでPPを取った際、「此処にいるべき人間がいない」といって涙しました。しかし、その後のドイツGP。大雨に見舞われた予選でピローニはプロストのマシンに乗り上げ、両足を複雑骨折し、F1ドライバーとしてのキャリアを絶たれました(プロストの雨嫌いの原因)。その後、87年にパワーボートの事故で他界しています。2人の抜けた後に加入したマリオ・アンドレッティとパトリック・タンベイの尽力で、コンストラクターチャンピオンは獲得しましたが、フェラーリにとっては暗黒の1年となったのです。
なお、自分はこの頃はまだF1よりWRCに興味があったので、F1は殆ど見ていませんでしたが、F1好きの知人から情報を入手しました。
ジル・ヴィルニューブ 1950年1月18日生~1982年5月8日没
Grazie,GILLES・・・
私は今日、1分間黙祷しました。
そして、昨日はジルの愛機「126CK」のプラモデルを予約しました。
さらに、メットマニアの「126C2」のペーパークラフトも作ろうと思っています。
投稿 shigeo | 2008年5月 8日 (木) 22時15分